反面教師という言葉の意味!互いに成長するプラスの考え方!

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あなたは「反面教師」という言葉をどのように解釈していますか?

この言葉は、一歩間違えてしまうと物事を逆に難しくしてしまうのです。

一体どう解釈すれば、成長につながるのでしょうか?


「反面教師」という言葉を聞いて、誰でもある程度の「こんな感じだろうな」というイメージはあるでしょう。

それがどんなものなのかは人ぞれぞれ。

解釈を変えればどんなことでもプラスに変えていくことができるはずです。

「反面教師」の意味は?(一般論)

「反面教師」とはどういった言葉なのだろうか?

わが国日本では、言葉それぞれに定義づけがされているため、一般的な意味はある程度固定されてしまう。

ネットで記載されている一般的な意味合いは以下のようである。

反面教師(はんめんきょうし)とは、反省の材料となるような人や事例を指す。中国共産党中央委員会主席の毛沢東により発案された言葉で、「絶対に真似したくない」と思わせる教育方法を指すこともある。

組織内などに劣悪な者や間違った者がいたならば、余程の酷い状態で無い限り敢えて矯正したり除外するのではなく、組織内に留めて地位や権限を与えない閑職にさせて、他の構成員にその醜態を見せ付ける事により類似した者の増殖を防ぐという目的で利用する人物。

1957年に行われた演説で最初に使われたとされている。
日本の似たような諺に「人のふり見て我がふり直せ」というのがある。

毛沢東は間違った組織を反面教師を用いた上で正しい方向に導いていくということについても説いた。

毛沢東が言うには間違った組織というのは少数の間違った人物が中心となって構成されていることから組織全体が間違った状態になっており、大多数はこのことから間違った行いをするようになっているというわけである。

この場合には中心にいる少数の間違った人物を孤立させた上で、その他大多数に対しては正しい教育を施すということで大部分の構成員は正しい状態へと導かれて行く。

そして中心にいた間違った人物のことを反面教師と判断するようになることから組織は発展するというわけである。

毛沢東は当時に広く行われていた間違った指導者を排除するということで組織を正しい方向に導くという政策を批判した。

毛沢東が言うには間違った指導者であったからこそ、それが反面教師となった場合に大きな効果が期待できるというわけである。

「反面教師」wiki

はんめん-きょうし【反面教師】の意味

悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。

それを見ることで、反省の材料となるような人や事例。

その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つのでいう。

はんめん-きょうし【反面教師】の意味

世界大百科事典

はんめんきょうし

中国で,悪事をはたらき,または誤りを犯すことで逆に人民に正しい自覚をうながし,貴重な教訓を残す人物あるいは事物をいう。

人民に正しい道を教える正面教師に対することばで,反面教材ともいう。

反動的支配者や帝国主義者,革命陣営内の路線の誤りなどがこれにあたる。

革命的政党・人民は正反両面教育を受け,比較と対照を通じて鍛練され,成熟していくという弁証法的過程を示し,その主体的運用を強調したことばである。

毛沢東は,中国革命のそして社会主義建設の過程においてたえず反面教師の持つ役割を重要視した。

コトバンク「反面教師」

反面教師とは、わざとそういう「こんな真似したくない」と思わせる教育方法のことである。

人間、自分のしている行動は無自覚で善悪の判断が付きにくいものであるが、第三者がそれを行うと、冷静な視線で判断することができる。

昔のえらい人も『鬼の子供は仏になる、仏の子供は鬼になる』とすっごくいい言葉を残している。

自分の両親や保護者の駄目な行動を見て「こんな大人には絶対にならない」と思って成長した子供もいるかもしれない。

反面教師とはそんな必要悪の事である。悪い事はいけないとされるが、あえて悪いことを誰かに見せることも重要なんだ。

ニコニコ百科事典「反面教師」

反面教師とは

悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。

手本となる「教師」の逆なわけですね。

中国主席の毛沢東により発案された言葉

中国のかつての最高権力者、毛沢東が1957年の演説で最初に使った言葉です。
日本の似たような諺に「人のふり見て我がふり直せ」というのがある。

他人のやっている動作や態度で好ましくないと感じたら、その相手をとがめる前に、自分は他人に対して同じようなことをしていないか、他人の行動を自分のこととして省みなければならない。

職場のアノ人からも、学ぶべき点はある!?
その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つ。

反面教師の人物が犯す誤りは、人々に正しい自覚をうながす貴重な教材なのです。
「反面教師」は最高の教師である。

たくさんの「反面教師」との出会いが、自分の言動を見つめ直すきっかけになり、自分を変えていくのかもしれません。

反面教師は愚かさや欠点や嫌な面を見せて「こんな人間になるな」「こうやってはいけない」「もっと強くなれ」と、あなたの人間性を向上させる役割を担ってくれている。

そう考えると、急にありがたい存在に思えてくる…!?

自分のことはよくわからない(受け入れがたい)が、他人のことはよくわかる。

そして、他人の「ふり」を見ると、自分の受け入れがたいことがよくわかったりする。

反面教師が気になるのは、自分の中にもその人に似た性質があるためとも言われています。

内在的な自分の好ましくない部分を、反面教師を意識することで表面化させない効果もありそうです。

でもそういう人とは深く付き合いたくない…。

人生には、避けられない反面教師もいる──。
同じ職場だったり、同じクラスだったりして、関わりを切れない時、関わり方を悩む。

人生ではどうしても避けられない反面教師な人と出会います。

職場の上司、同僚、取引先の担当、もしかしたら妻や夫、姑など家族かもしれません。
そんな人々とは、どのように付き合っていけばいいのでしょうか?
敵に見えるのは、戦おうとしているから。

無理に戦おうとせず、その人を反面教師としてとらえ、いつも笑顔で対応を心がけるだけで、気持ちはずっと軽くなります。
上辺だけの付き合いを続ければいい。

職場なら仕事モードで、大人の対応を心がける。

相手の嫌な面を見て、それを教訓として自分は同じようなことはしない」と決断できれば、嫌な人とつき合う意味があった。

割り切りが大切なのかもしれません。
どんな人からも、学ぶべき部分はあるのです。
もし、他人の欠点や足りないことが目について気になったなら、安易に批判するのでなく、自分はどうかと振り返って自己評価してみましょう

反面教師との出会いを、自分自身の言動を見直すきっかけにして成長したいものです。
嫌な人であるほど、忘れられない存在になります。

嫌な人からは、反面教師として学びを得よう。

そんな人から学んだ「反面教師」の部分は、きっとその後のあなたの人生の糧になるはずです。

僕はそれを反面教師にしたいと思います。
姿勢をシャンとさせて座ります。
他がまったくシャンとしてないので、せめて電車の中くらいはシャンとしたいと思います。

失礼な人ってのは、自分が失礼なことをしてるって自覚がないので、指摘しても「え?どこが?」だったり、逆にこちらの方が失礼だと返してくることがあるので、僕は笑顔を返すようにしている。

見栄や虚勢は必要ない。
僕が勝負すべきは別の場所にある。
そして我が身を鑑みる。

反面教師にしたい大人の多さに戸惑うことがある。
子供がいかに大人より頭よくてきちんと生きてるかっていうのを嫌ってぐらい痛感して、この感覚忘れないまま大人になりたいなって思う。

良い教師をたくさん作るより、反面教師をたくさん作った方がいい。
絶対こんなやつにはなりたくない。
っていうのが自分の本当にやりたいことは見つけやすいと思う。

単に批判するだけでなく自分に落とし込んで、「そのようなことを自分はしていないか」と反面教師にしたいと自分は思っている。
全ての物事は有効に意味づけすることで、自分の血肉になると思うから。

間違いから学ぶ一番効率の良い方法は、誰かほかの人に間違いを犯してもらうことだ。
反面教師からも、たくさんのことを学ぶことができる。
たとえば、私は指導することや教えることを最悪のコーチや先生から学んだ。
ある先生が授業中に延々と退屈な話を続けたことを私は覚えている。

NAVERまとめ「反面教師」

ネット上でもこれだけの解釈があり、人それぞれ使い方が微妙に違っている。

用語の代表格でもあるwikipediaが、その言葉の由来や使われていた意味を示しているだけで、実際にどのように活用すべきかが述べられてはいない。

どの解釈が正しいのか?

あなたにはどの解釈が最も正しいものだと感じただろうか?

これは、性格や知識ではなく、その人が経験してきたことから学んだ価値観によって左右される。

そもそも、どの解釈が正しいのかを議論しようとするとそれ自体が間違った行動だということになる。

「何が正しいのか?」よりも「どう解釈したら誰もが救われるか?」のほうが世のため人のため、自分のためになるはずだ。

一般論の「反面教師」への疑問

まず、ウィキでに記載されているのは、毛沢東がその言葉を用いて企業を成長させよとしたということしか記載されていない。

これは、言葉の使われてきた歴史を示すものとしては正しいが、言葉の持つ意味としては疑問だらけだ。

読んでいる人の中でも、様々な違和感は感じたはず。

文章の中に「間違った人」「わざと残す」「利用」「矯正」「除外」「正しい」「導く」といった言葉が多数羅列し、不快感を感じるのは私だけだろうか。

毛沢東の思想は、企業を成長させるためには必要なことだったかもしれないが、「人を人として扱う」という根本的なものが抜け落ちているからとてもじゃないが賛同はできない。

誰かを悪者にして誰かを正当化する。

それが正しい導きとは到底思えないし、そもそも人が人を導くなどと考えていることこそに疑問を感じてしまう。

「反面教師」という言葉の解釈が人それぞれだとしても、毛沢東のこの思想は好きにはなれない。

他にも「こうなってはいけない」「鬼の子は仏、仏の子は鬼」「必要悪」「避けられない」「大人対応」などの言葉もちらほら見えるが、そのどれも違和感を感じる。

良いとか悪いとか、大人対応であしらうとかそういった判断はしないほうが自分のためだと私は思う。

誰もが損をしない解釈はないのか?

反面教師は、どうしても「その人が悪い例」というような意味合いへと偏ってします。

しかし、その人がその行動をとっているのは悪でも何でもないし、ただそうしたくてしているだけ。

もっと楽に考え、自分のことだけに意識を向けることができれば、誰も損をせずに違和感のある人間関係にはならないはずだ。

あなたの学びに換えるために

「反面教師」という言葉を通じて、他人から何を学び取るのか。

これは、自分も他人もみんなを成長させるためにとても重要なことだ。

人間関係を良好にしたいとか、大人対応だとかは、ただその結果がそうなっているだけで、始めからそんなことは意識する必要はなく、自分の中でいい解釈ができるなら、勝手にそうなっていくものだと思っている。

嫌な感情を抱いたら言葉にするな

人間は誰しも嫌な気持ちにはなります。

ささいなことでも怒りたくなったり、指摘したくなります。

ですが、人は他人を通して自分を見ていることを覚えておいて下さい。

「あんな風になってはいけない」ではなくて「あなたもそうですよ」という意味です。

人間は、自分の知らない価値観に反応することはありません。

あなたが嫌な感情を抱くということは、「なってはいけない」ではなくて、すでにどこかで「なったことがある」ということになります。

生きれば生きるほどにストレスが増えるのはこのせいで、あなたの周りに嫌いな人が沢山いるのではなく、あなたがそれまでに犯してきた罪がそれだけ増えているということを示します。

相手を変えようとして指摘するだけ無駄で、全て自分のことなのですから言いたくなった言葉はそのまま飲み込みましょう。

そして、自分の中に必ず同じ部分があるので、それを金輪際しないと決意すること。

そうすれば、誰も嫌な気持ちにはならないはずです。

また、口から出てしまった言葉はもう取り消すことはできません。

相手が傷つくかもしれないし、自分にも同じ感情が返ってくるものなので、自分も傷つくことになります。

嫌な気持ちになった出来事は、絶対に相手には伝えたり、指摘したりはしないほうが互いのためになります。

シンプルに考えていく方法

最もシンプルに、この「反面教師」から学ぶ方法があります。

誰も傷つかず、自分一人で納得することができ、相手もそのうちその行動をしなくなる。

単純に考えて下さい。

相手に言いたくなった言葉を実際には言わずに、自分にそのまま言って下さい。

それだけです。

そして、その言葉を受け止めしかありません。

いくら否定しようと、認めたくはなくても、絶対にあなたのことです。

学びを受け取るか受け取らないか

相手から攻撃的な言葉を受けたり、嫌な行動を発見したりすると、あなたはそのことを指摘してはいけません。

指摘することは、あなたが学びを受け取らずに突き返していることになります。

また、指摘されたほうはあなたにも同じ一面があるのを知っているため、あなたに対しても同じことを思います。

これでは、どちらも学びを受け取ることはないので成長することはありません。

受け取るということは、反応することではなく、沈黙すること。

こちらが黙ってみていれば、相手はまたこちらの方を見て何かを学んでくれます。

この関係が、最も平和的な思想だと言えます。

いいことだけは返していこう

感情の受け取り方や、そこからの学び方はとても重要です。

悪いことは指摘しなければ、相手も必ず気づきます。

また、「いけないな」「やってしまったな」と本人も思っているかもしれないので、それをわざわざ咎めるようなことはしなくてもいいのです。

そして、いいと思ったことだけはどんどん伝えていきましょう。

「いいな」と思うところは、こちらも微笑ましくなるような気持ちをもらっているので、それを返してあげるのです。

「そういうことろいいよね」と言ってあげるだけで互いに表情が和らぎます。

例え相手がそれを受け取らないような仕草や態度をしていても、必ず心の中では受け取っています。

悪いことは言わなくてもいいし、言い返す必要もない。

いいことはすぐに返し、伝えていきましょう。

自分なりに考えていく力を

世の中には正解というものはありません。

ネットや本であらゆる価値観を身につけることも大切ですが、そのどれもあなたの正解とは少しずれているだけです。

あなたが色々なことを経験し、そこから学んだことだけが、あなたに一番しっくりくる価値観です。

日本の教育では、言葉そのものの意味を勉強で教わり、その意味が決定づけられてしまうところがありますが、それが正解なわけではありません。

私たち大人がそのことをまず理解し、そして、自分の私生活を持って子供たちに伝えていかなければいけないと私は思っています。

そこでも、「子供に教える」だとか「導く」だとか余計なことは考えなくてもいいのです。

ただ、一緒に生活している大人たちがそういった価値観で生きていれば、自然とそこから学び取っていくはずです。

「子供を教育」「しつけ」だとかバカげています。

ただ生きているだけで、勝手に学んでいくものなので、他人の価値観を歪めようとする必要はないのです。

それをやってしまうから、子供たちはまた他人の価値観を変えようとする大人になるだけなのです。

あなたのしていることそのままを、周囲にいる人たちは見て学んでいるだけなのです。

「仏の子は鬼、鬼の子は仏」なわけがありません。

「鬼の子は鬼であり、仏の子は仏」です。

前者の言葉は、自分を正当化して他社を否定するための偽善にしか聞こえません。

あなたが他人の行いを見ていると同時に、他人もあなたの行いを必ず見ているのです。

そして、誰かが見ている見ていないにかかわらず。

誰の評価を受けることも気にせず。

人として心地のいい行いだけを増やし、不快感のある行いは減らしていくことだけを考えていきましょう。

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